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静岡地方裁判所沼津支部 昭和60年(ワ)127号 判決

主文

一  被告は、原告に対し、二四五五万四一七四円及びこれに対する昭和六〇年五月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを三分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、主文第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し三四二七万四四九八円及びこれに対する昭和五八年六月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告は、昭和四六年一月一五日生まれで、後記本件事故発生当時清水町立清水中学校に在学していた。被告は、静岡県駿東郡清水町堂庭に町立清水中学校(以下「清水中学校」という。)を設置し、後記の事故が発生した昭和五八年六月二一日当時教諭として渡辺知実(以下「渡辺教諭」という。)を任用していた。

2  本件事故の発生

昭和五八年六月二一日午後一時一五分から清水中学校の理科室において、同中学校一年一組の第五時限の授業として理科の実験が行われたが、その実験の内容は「物質を熱したときの変化-過酸化水素水を加熱し、酸素を取り出す実験」というものであった(右実験を以下「本件実験」という。)。右実験の担当教師は渡辺教諭で、原告を含む一年一組の生徒三九名が授業を受けていた。

本件実験は生徒を六班に分けて、各班毎に実験装置、実験器具、実験材料が与えられ、生徒たちが自らこれを使用する方法で行われた。原告が所属する六班も、器具を教師の机から六班の実験台へ運び、黒板に示された図のとおり組み立てて実験を開始した。原告は六班の中では記録係を分担し、ノートに実験の経過、内容などを記録した。

本件実験は、最初試験管に水を入れ、これを熱して沸騰させる実験から始まり、次に試験管に過酸化水素水を入れ、これを熱して酸素を取り出す実験へと進んだ。六班は、酸素を取り出すことに成功し、線香で点火して右取り出しを確認した。引き続いて同じ実験を繰り返すことになり、六班も再びこれに取りかかったが、その直後の同日午後一時五五分ないし同二時ころ、六班の実験中の試験管が爆発し、破裂して飛び散ったガラスの破片で原告を含む六名の生徒が負傷した(右事故を以下「本件事故」という。)。

3  本件事故後の経過

(一) 被告(清水中学校)は、本件事故発生後、原告ら負傷者を教師らの自家用車に分乗させて大関医院へ運んだ。このような場合、救急車を呼んで救急病院へ運ぶというのが最も適切な措置であるのに学校側はこれを行わなかった。原告も右医院で治療の順番待ちをさせられた後、手や顔の手当てをうけたが、目の負傷の治療を受けたのは他の眼科医のところに移されてからであり、受傷後約三時間が経過していた。

(二) また、学校側はこのような重大な事故が発生したのであるから、直ちに警察に通報し、現場を保存して事故原因を究明すべきであるのにこれを一切怠った。

4  原告の負傷内容

原告は、本件事故の爆発音で反射的に顔を上げた際、飛散したガラス片で左手、顔面、首などを切り出血した。その後学校の保健室で応急手当を、大関医院で切り傷の手当を受けたが、左眼の異常を感じ、眼科医の診察をうけ、事故当日午後七時ころ、富士中央病院において左眼に刺さったガラス片の除去手術を受けた。右手術及びその後の治療によっても左眼の視力は回復せず失明している。診断名は左外傷性白内障である。

5  責任原因

(一) 債務不履行責任

(1) 原告と被告の間には、いわゆる在学契約と呼ばれる契約関係が成立している。右在学契約に基づき、被告は原告が学校において生命、身体の危険に脅かされることなく教育を受けられるよう必要な配慮をなす義務、すなわち安全配慮義務を負担している。

(2) 被告が設置した清水町立中学校の教諭である渡辺教諭は、被告が在学契約に基づき実施する教育の履行を補助する立場にあるところ、右渡辺教諭は、以下のとおり安全配慮義務に違反した。

(3) 安全配慮義務違反の具体的事実

ア 実験方法の誤り

本件実験は、過酸化水素水を加熱して酸素を取り出す実験であったが、教科書によれば、試験管を加熱するにあたってはアルコールランプの上に三脚を置き、その上にアスベストの金網を敷かなければならないと指示されている。これは、過酸化水素水を急激に加熱した場合、酸素の発生の反応が加速されて試験管内部の圧力が高まり、爆発の危険が生じるからである。しかし渡辺教諭はこの指示に従わず、時間を節約するため、金網を使用せず、試験管を直接アルコールランプで加熱する方法によって実験を行った。そして、加熱の強さ及び速さを調整する手段として、アルコールランプの芯を上下させて炎の大きさを調節し、あわせて、試験管の高さを上下に調節した。渡辺教諭はこの調節を極めて乏しい経験と勘によって行ったが、このような調節方法は極めて危険なものである。

イ 実験装置の調整の誤り

前記のとおり、渡辺教諭によって調節された実験装置により実験が進められたが、原告の所属する六班は酸素がほとんど発生せず、酸素を採取できなかった。これを見た渡辺教諭は、その原因を火力が弱いと判断し、火力を強めるために試験管を下げて炎に直接あたるようにした。その結果、酸素は採取されたが、その直後に引き続き行われた二回目の採取実験のときに、多量に発生し、かつ急激に加熱された酸素が爆発した。本件事故は、渡辺教諭が、六班の実験の停滞の原因について深く検討せず、安易に火力の不足が原因であると判断し、乱暴にも試験管を適当に下げてアルコールランプの炎を直接試験管に当たるようにしたため、教科書において禁止されている急激な加熱が試験管に加えられたことによるものであり、この点における渡辺教諭の実験装置の調整の誤りは明らかである。

(二) 国家賠償法一条に基づく責任

被告が任用していた渡辺教諭には、前記実験方法及び実験装置の調整を誤った過失があり、それゆえ被告は国家賠償法一条に基づき損害賠償責任を負う。

6  損害

(一) 逸失利益 一三七七万四四九八円

原告は、本件事故による後遺症のため、労働能力の四五パーセントを喪失した。賃金センサスにより一八才女子の年齢別平均給与額に新ホフマン係数をかけて原告の逸失利益を計算すると次の計算式のとおり一三七七万四四九八円となる。

1393200×0.45×21.971=13774498

(二) 慰謝料 一八〇〇万円

(1) 入通院の慰謝料 三〇〇万円

原告は、本件事故によって負った傷害の診療のため別紙治療状況一覧表のとおり入通院したが、この間の慰謝料としては三〇〇万円が支払われるべきである。

(2) 後遺症の慰謝料 一五〇〇万円

前記のとおり、原告は本件事故により左眼を失明し、回復の可能性はない。進学、就職、結婚、育児など原告の将来の生活全般にわたってはかりしれない精神的苦痛と有形無形の障害を与えることはいうまでもない。その苦痛に対する慰謝料としては少なくとも一五〇〇万円が支払われるべきである。

(三) 弁護士費用 二五〇万円

原告は、本件訴訟の弁護士費用として二五〇万円を支払うことを原告代理人らに約束している。

7  よって、原告は、被告に対し、本件事故による損害賠償として、三四二七万四四九八円及びこれに対する事故の日である昭和五八年六月二一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の反論

1  請求原因1及び2の事実は認める。

2  請求原因3(一)のうち、この場合救急車を呼んで救急病院に運ぶのが最も適切な措置であるという点は否認し、その余の事実は認める。同(二)のうち、直ちに警察に通報しなかったこと、現場を保存しなかったことは認めるが、その余は否認する。

3  請求原因4のうち、原告が左眼を失明したとの点は否認し、その余の事実は認める。

4  請求原因5(一)(1)は否認する。

本件は公立学校の在学関係であるから、私法上の契約関係を前提とする在学契約は存在せず、したがって在学契約上の安全配慮義務もない。

5  請求原因5(一)(2)のうち、渡辺教諭が履行補助者であることは認めるが、その余は否認する。

6  請求原因5(一)(3)アのうち、渡辺教諭がアスベスト金網を使用せず、試験管を直接アルコールランプで加熱する方法によって実験を行ったこと、この方法が教科書の指示する方法と若干異なることは認めるが、その余は争う。

右実験方法をもって直ちに安全配慮義務違反があったということはできない。すなわち、アスベスト金網を使用する目的は試験管を穏やかに熱するためのものである。したがって、アルコールランプの芯を〇・五ミリメートル位に小さくして炎の火力を弱め、かつ、試験管の高さを調節するなどの方法を講じ、加熱の強さと早さを加減しておくならば、アスベスト金網を必ずしも使用せずに直接試験管を熱することも許されるのであり、右金網不使用自体が安全配慮義務違反になるものではない。

7  請求原因5(一)(3)イは争う。

本件実験装置は、爆発の直前教師自らがその経験に基づき加熱の強さと速さを加減し調節したものであって、急激な加熱が試験管に加えられてしまったという事実はなく、この点においても渡辺教諭には何ら安全配慮義務違反はなかったものである。

また、本件実験のような場合、何らかの理由で過酸化水素水の中に微量であっても何らかの有機物が混入したとすれば、過酸化水素水自体の過剰反応によらない爆発が考えられ、さらには通常の加熱であっても何らかの理由により試験管内の圧力が高まれば爆発を招くことも有り得るのであって、爆発の原因は過酸化水素水の加熱だけに限定されるものではない。本件試験管の破裂の原因はまったく不明というべきである。したがって、仮に渡辺教諭に何らかの安全配慮義務違反があったとしても本件事故との因果関係はない。

8  請求原因5(二)は否認する。

9  請求原因6は争う。

仮に被告に損害賠償責任があるとしても、その総額は一一八九万一四九九円に過ぎない。

(一) 逸失利益について

原告の後遺障害は、労働基準法施行規則別表によると、後遺障害等級第八級に該当するから、労働基準局長通牒所定の労働能力喪失率にあてはめれば四五パーセントの労働能力喪失ということになる。しかしながら、労働能力喪失率なるものはもともと国が労働者災害補償保険法二〇条の規定に基づき第三者に求償すべき場合の損害額の計算について定められた行政上の画一的な基準であるにとどまり、しかも、右喪失率は肉体労働者を主たる対象として作成されたものであるから、本件のような中学一年の女子にはそのまま適用できないものといわなければならない。

ところで原告は、受傷後高校に進学し、さらに専門学校などの上級学校に進学することも十分に可能であって、将来適切な職業選択によって障害の影響を最小限にとどめることができるのであり、また本人の意思により職業に就かない場合あるいは結婚して主婦業に専念する場合においても、日常生活にそれほど支障はないものと考えられ、さらには原告の年齢からいって前記後遺障害があってもそれに順応する可能性は極めて大であるので、その労働能力喪失率はせいぜい一五パーセントとみるのが相当である。そしてそれ以外の点につき原告の主張を前提にすると、右逸失利益は四五九万一四九九円となる。

(二) 慰謝料について

(1) 入通院の慰謝料については、入院期間、通院実日数などを考慮すると一三〇万円が相当である。

(2) 後遺症の慰謝料については、原告の左眼の失明もしくは視力〇・〇二以下を前提としても六〇〇万円が相当である。

第三  証拠関係〈証拠〉

理由

一  当事者

請求原因1(当事者)の事実は当事者間に争いがない。

二  本件事故の発生

請求原因2(本件事故の発生)の事実は当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、〈証拠〉を総合すれば、本件事故の発生に至る経過として以下の事実が認められ、右認定を左右するにたりる証拠はない。

1  昭和五八年六月二一日午後一時一五分から清水中学校の理科室において、同中学校一年一組の第五時限の授業として理科の実験が行われたが、その実験は「物質を熱したときの変化-水と過酸化水素水を熱する」という標題のもので、具体的には、最初に水を入れた試験管をアルコールランプで加熱して沸騰させて水蒸気を発生させる実験を行った後、過酸化水素水(五パーセント水溶液)を入れた試験管をアルコールランプで加熱して酸素を発生させ、これを水上置換法で水槽内の試験管に捕集し、火のついた線香で酸素であることを確認する実験を行うというものであった。右実験の担当教師は渡辺教諭で、原告を含む一年一組の生徒三九名が授業を受けた。

2  渡辺教諭は、右授業を行うにあたって実験器具として、アルコールランプ、試験管、ゴム栓付きガラス管セット、鉄製スタンド、線香、マッチ、三脚、アスベスト金網、水槽、沸騰石などを、薬品としては、五パーセントに薄めた過酸化水素水及びその原液をそれぞれ用意し、これらの点検を実験前に行った。これら実験器具のうち、三脚とアスベスト金網については、以前に別のクラスで本件と同一の実験に使用した際、加熱が遅くなって一時限の授業時間内に行うには無理があったので、炎を小さくすれば金網を外しても同じことで差し支えないと判断し、本件実験に際しては使用しないこととした。

3  渡辺教諭は、授業の最初に、一五分程度かけて、それ以前に一時限かけて学習させた本件実験の方法、目的、実験上の注意をオーバーヘッドプロジェクターを利用して生徒に再認識させ、その後、六班に分けられていた生徒たちの各班ごとに実験装置、実験器具、実験材料を与え、そして生徒たちが自らこれを使用する方法で実験が行われた。原告が所属する六班も、器具を渡辺教諭の机から自分たちの班の実験台へ運び、黒板に示された図のとおり組み立てて実験を始めた。原告はその班の中では記録係を分担し、ノートに実験の経過、内容などを記録した。

4  最初に水を加熱する実験を行った後、過酸化水素水を加熱する実験を始めたが、六班の実験においては、酸素の泡立ちが遅く水槽内の試験管への酸素の溜まり方が遅かったので、六班の生徒が渡辺教諭にその旨伝えたところ、同教諭が六班の実験台に来て、右酸素の溜まり方が遅いのはアルコールランプによる加熱が弱いためであると判断し、右実験中の過酸化水素水の入った試験管の位置を下げアルコールランプの炎が直接試験管の底部に当たるようにした。その後は酸素の泡立ちが早くなり、水槽内の試験管に溜まり、水槽内の試験管を取り出して生徒が線香の火を近付けると酸素は燃え、一回目の実験は成功した。その後渡辺教諭は、六班に再度の実験を指示し、別の班の実験を指導するため六班の実験台を離れた。そして二回目の実験を班員たちで開始したところ、まもなく過酸化水素水の入った試験管が破裂し、飛び散ったガラスの破片で原告を含む六名の生徒が負傷した。

三  本件事故後の経過

請求原因3(一)、(二)の事実(本件事故後の経過)のうち、学校側は本件事故発生後、原告ら負傷者を教師らの自家用車に乗せて大関医院へ運んだこと、原告も右医院で順番待ちをさせられた後、手や顔の傷の手当てを受け、その後眼科医のところで眼の負傷の治療を受けたが、その時は受傷後約三時間が経過していたこと、学校側は本件事故をただちに警察に通報することはせず、現場も保存しなかったことはいずれも当事者間に争いがない。

四  原告の負傷内容

請求原因4の事実(原告の負傷内容)のうち、原告が失明したとの点を除き当事者間に争いがなく、右争いがない事実に、〈証拠〉を総合すると、原告の負傷内容につき以下の事実が認められ、右認定を左右するにたりる証拠はない。

原告は、本件事故後保健室に連れて行かれ、同所で手や顔の傷の応急手当を受けたが、その際眼の中がゴロゴロするので左眼で物を見たところ物の形は識別できたが、色彩感がなく、保健室の先生に眼がおかしい旨訴えた。そして午後二時三〇分ころ渡辺教諭らに大関医院に連れていかれ外傷の手当てを受け、約二時間経過後、眼の診察を受けるために桑名眼科に連れていかれ、午後七時ころ富士中央病院で眼の手術を受けた。その後別紙治療状況一覧表のとおり各病院に入通院して診療を受けたが、その間昭和五九年四月四日には東京大学医学部付属病院において、病名が、左眼の「後発白内障、虹彩後癒着、角膜白斑」視力が「左二〇センチメートル指数弁」との診断を受け、また同年九月一〇日には昭和大学病院において、病名が、「左外傷性白内障」、視力が「昭和五九年六月二九日初診時視力VS=手動弁」の診断を受けている。そしてその後の左眼の視力は、コンタクトレンズを使用して〇・〇八、コンタクトレンズをはずすと測定不能の状態にあり、右後遺症状はすでに固定したものと認められる。

五  被告の責任

1  被告の安全配慮義務について

原告は、被告は原告に対し在学契約に基づく安全配慮義務を負担している旨主張するが、公立中学校における生徒の在学関係は行政主体である被告の行政処分(就学校の指定等)により生ずる公法上の法律関係であると解するのが相当であるから、被告が在学契約に基づき安全配慮義務を原告に対して負担している旨の原告の主張は採用しえない。しかしながら、公立中学校においても、被告は中学校を設置し、これに生徒を入学せしめることにより、教育法規に則り、生徒に対し、施設や設備を供し、教諭をして所定の過程の教育を施す義務を負い、一方生徒である原告は同校において教育を受けるという関係にあるのであるから、一定の法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随義務として相手方に対し信義則上負う義務として、被告は原告に対し、学校教育の場において原告の生命、身体、健康についての安全配慮義務を負っているものと解するのが相当である。そして学校設置者である被告の安全配慮義務は、学校長以下その監督下にある教諭を含む職員全体をとおして具体化されるのであるから、右職員らが、学校設置者の支配管理のもとに教育義務に関連して生徒に対する危険の発生を未然に防止するために尽くすべき注意義務もまた、被告の負うべき安全配慮義務の内容となるというべきであり、前記渡辺教諭は被告の右義務を履行する際の履行補助者の立場にあったと解するのが相当である(渡辺教諭が被告の履行補助者の立場にあったことは当事者間に争いがない。)。

2  安全配慮義務違反の有無について

(一)  〈証拠〉によれば、本件実験は、危険性を伴うものであって試験管の破裂などの事故も予想されないわけではないものと認められるから、右実験の担当教師としては、事故の発生を未然に防止するよう配慮すべき義務があることは当然である。そして、その具体的内容としては、事前に生徒らに適切で安全な実験方法を指導する義務、適切な実験器具を用意する義務、実験を実際に行う際に生徒らを適切に指導、監督する義務などを認めうる。

(二)  そこで本件事故において、渡辺教諭に右義務違反があったか否かについて検討するに、原告は、その具体的事実として、本件実験において渡辺教諭が過酸化水素水の入った試験管を加熱する際アスベスト金網を使用せずに直接アルコールランプで加熱したこと及び当初酸素が採取できなかった六班の実験の原因を火力が弱かったことにあったと判断し、アルコールランプの炎に過酸化水素水の入った試験管が直接当たるようにして急激に加熱したことを指摘し、これらが本件事故を引き起こし、かつ安全配慮義務違反の事実となる旨主張する。他方、被告は、渡辺教諭が過酸化水素水の入った試験管を加熱する際アスベスト金網を使用しなかった事実は争わないものの、そのこと自体安全配慮義務違反となるものではないし、また、渡辺教諭に実験装置の調整の誤りはない旨主張し、さらに、本件爆発の原因は不明であるから、仮に渡辺教諭に何らかの安全配慮義務違反があったとしても、本件事故との間に因果関係はない旨主張するので、以下この点について検討を加える。

(1) 本件事故原因について

前記二4の認定のとおり、本件事故は、原告が属していた六班において、一回目の実験の際、水槽内の試験管に酸素の溜まり方が遅かったため渡辺教諭が過酸化水素水の入った試験管の位置を下げアルコールランプの炎が直接試験管の底部に当たるようにし、その結果実験は成功し、それに引き続き生徒らで再度実験を行った際に生じたと認められること、〈証拠〉によれば、一般に化学反応の速度は、温度が摂氏の度盛りで一〇度上がると、二ないし三倍に増加すると認められること、さらに〈証拠〉によれば、静岡大学の大山襄教授は、本件実験に関する意見書(以下「大山意見書」という。)において「過酸化水素水を加熱する場合においては、水の加熱に比べてはるかに細心の注意が必要であることがわかる。最大の問題は、沸騰によって生じた泡がすぐ消えないことである。沸騰が起こって泡が試験管の中にいっぱいになり、更に細管に流れ込んだ場合、泡による細管の目ずまりを起こす可能性は甚だ大きい」「一旦排気に遅滞が起こると、管内の圧力が高まり、それによって液体の沸点が高くなるため気化が押さえられ、気化が抑えられることにより気化熱による熱の放散が抑えられ、一挙に液温が上昇し、圧力が急上昇することになる。」旨述べていることを総合考慮すると、本件事故原因は、過酸化水素水の入った試験管をアルコールランプの炎で急激に加熱したことにより、試験管内の温度が急上昇し、沸騰が生じ試験管内の圧力が高まり、右試験管の爆発的な破裂が生じたものと推認するのが相当である。被告の、試験管破裂の原因は過酸化水素水の水の加熱だけに限定されるものではないから本件事故原因は不明であるとか、可能性としては何らかの有機物が試験管内に混入したことなども考えうる旨の主張については、証人渡辺知実においてもこの点につき否定的な証言をしているのみならず、右主張を裏付ける何らの証跡もうかがえないから、右主張を採用することはできず、他に前記推認を覆すにたりる証拠はない。

(2) 渡辺教諭の安全配慮義務違反行為について

右認定のとおり、本件事故原因は過酸化水素水の入った試験管の急激な加熱にあると認められるところ、〈証拠〉によれば、本件実験に際し使用されていた教科書には、本件実験に関し、実験のための装置の図柄、写真が掲載され、その図柄、写真のうち、過酸化水素水の加熱に関する部分については試験管とアルコールランプとの間に必ずアスベスト金網が設置されており、その説明中に「水を熱する場合はアスベスト金網を取りはずしてよい」との記載があること、前掲甲第九号証の大山意見書には「過酸化水素水を沸騰させることは極めて危険であるが、一方、熱分解反応により能率的に酸素を得ようとすると、沸騰一歩手前の90°C程度の温度まで温めてやる必要がある。この点でこの実験は極めて危険性が高く、従って、定められた実験装置の設定を厳密に守り、かつ、実験の実行においては細心の注意をはらうことが要求される。」「先に述べたこの実験のもつ危険性により、アスベスト金網を外して試験管を直接炎に近づけたことは重大な誤りであった。教科書(甲第一号証)に書かれている装置図どおりの設定で実験することが、危険を避けるために絶対に必要であった。教科書にも『水を熱する場合はアスベスト金網を取りはずしてよい』と書かれているが、このことは水と過酸化水素水の沸騰時の性質に決定的な差異があることによっているものと考えられる。」「もし金網があったならば、たとえ熱し過ぎて沸騰が起こったとしても、熱の供給量は金網の無いときよりはるかに少なく、泡の高さも細管に達しないかもしれないし、また、沸騰を止めるとっさの処置が可能であっただろう」などと述べられていることがそれぞれ認められ、右認定を左右するにたりる証拠はない。右認定にかかる事実によれば、本件実験に際しては、過酸化水素水の入った試験管を穏やかに加熱する必要性があり、そのため渡辺教諭としては、教科書に前掲されているように試験管とアルコールランプとの間にアスベスト金網を設置して実験を実施すべき義務があったと判断せざるをえない。そして前記認定事実及び右大山意見書によれば、右アスベスト金網が設置されていれば本件事故が生じなかった可能性は高かったものと認められるから、右不設置と事故との因果関係もこれを認めることができる。被告は、アルコールランプの炎を調節すれば試験管を穏やかに熱することが可能なのであるからアスベスト金網の不設置自体は安全配慮義務違反となるものではない旨主張し、証人渡辺知実もこれに沿う証言をしている。たしかに、前記認定のとおり、本件実験においてアスベスト金網の設置が要求されているのは、過酸化水素水の入った試験管を穏やかに熱するためと考えられるのであり、一般的には、右目的が確実に達せられる限りにおいては、その方法がアスベスト金網の設置でなければならないとはいえないとしても、アルコールランプの炎を直接試験管に当てて、かつ、穏やかに加熱するということは、アルコールランプ及び試験管の形状、機能などからして、微妙な調整を必要とし、必ずしも容易なものではないということは経験則上容易に推認されるところである。そして、全実験過程を担当教諭のみがその危険性を十分に認識して行うというのであれば格別、本件のごとく、生徒を六班に分け生徒らが主体となって行う実験の場合において、右方法を採用することは、実験方法として相当ではないと考えられるし、また、証人渡辺知実の証言によっても、同教諭が右実験方法を採用することによって生じる危険性を十分に認識していたとも認め難く、これらの点からして、被告の前記主張には左袒しえない。また、証人渡辺知実の証言中には、同教諭が六班の実験台を離れた後生徒らがアルコールランプの位置をずらしていたと思う旨の供述部分があるが、誰がどのようにずらしたのか同証人の証言によっても明らかでないし、また仮にこのような行為がなされたとしても、アスベスト金網を設置していれば、本件事故は防ぎえたと考えられるから、右行為はアスベスト金網の不設置と事故との因果関係を否定するものではなく、何ら前記認定を左右するものではない。さらに同証人の証言中には、アスベスト金網を使用しなかったのは、授業時間内に実験を終了させるためであった旨の供述部分があるが、この点は、水の加熱と過酸化水素水の加熱の各実験を二時限に分ける等の授業内容の工夫により対処しうることでもあり、授業の都合が実験の安全性をないがしろにすることを許容する理由たりえないことは明らかである。

(3) 前記のとおり、渡辺教諭は、被告の安全配慮義務の履行補助者と解せられ、右教諭の安全配慮義務違反行為は、被告の安全配慮義務違反を構成するものと解されるから、被告は後記の原告に生じた損害の賠償責任を負う。

六  損害

1  逸失利益 一四五五万四一七四円

前記四認定のとおり、原告には、本件事故により、左眼の視力が、コンタクトレンズを使用して〇・〇八となり、コンタクトレンズをはずすと視力が測定できないという症状の後遺症が残ったと認められるところ、右後遺障害の程度は、労働省労働基準局長通牒の労働能力喪失率第八級一号に該当すること、右後遺症の存在により、原告の今後における日常生活全般に支障をきたすのみならず、将来選択しうる職業が制限され、また就職をなしえても稼働する際に健常人以上の努力を要する場合がありうることは経験則上容易に推認しうるところであることなどを考慮すると、原告は労働可能期間を通じて四五パーセントの労働能力を喪失したと認めるのが相当である。そこで原告が一八才から六七才まで就労が可能なものとして、昭和六一年賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計・女子労働者の全年齢平均賃金額である二三八万五五〇〇円を基礎として、ライプニッツ式計算法により年五パーセントの割合による中間利息を控除して原告の逸失利益の事故時における現価を算出すると、次の計算式のとおり一四五五万四一七四円となる。なお被告は、原告の労働能力喪失率は一五パーセントとみるのが相当である旨主張するが、右見解は以上の理由から採用しえない。

2385500×0.45×13.558=14554174

2  慰謝料 八〇〇万円

前記四認定の事実、証人古澤勉の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、本件事故により前記認定の傷害を受けたため、多数回にわたり病院に入通院して診療を受け、なお後遺症が残ったことにより、多大の精神的苦痛を被ったものと認められるところ、本件事故の内容、入通院の経過、後遺症の内容、同人の年齢その他本件にあらわれた諸般の事情を考慮すると、右精神的苦痛に対する慰謝料としては入通院、後遺症を含め八〇〇万円が相当である。

3  弁護士費用 二〇〇万円

弁論の全趣旨によれば、原告が原告代理人らに本件訴訟の提起、追行を委任したことが認められるところ、本件事案の性質、事件の経過、難易度、認容額などに鑑みると、本件事故と相当因果関係のある損害として賠償を求めうる弁護士費用としては二〇〇万円が相当である。

六  結論

よって、その余の点につき判断するまでもなく、原告の被告に対する本訴請求は、一四五五万四一七四円及び訴状が被告に送達された日の翌日であることが記録上明らかな昭和六〇年五月二日から(安全配慮義務違反に基づく損害賠償債務は債務者が債権者から履行の請求を受けたときにはじめて遅滞に陥るものと解すべきである。)支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 秋元隆男 裁判官 仲戸川隆人 裁判官 古久保正人)

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